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志賀高原スキークラブ

沿革

信州山ノ内スキー倶楽部

  • 1920(大正9年)
    総裁:堀内文次郎、会長:小林辰夫、事務所長:鈴木静寿、倶楽部員30数名にて結成
  • 1926(昭和元年)
    会長:小林茂
  • 1928(昭和3年)
    会長:児玉峯三郎
  • 1930(昭和5年)
    会長:宮崎通知

平穏温泉スキー倶楽部

  • 1925(大正14年)
    会長:宮崎通知
  • 1930(昭和5年)
    10月全日本スキー連盟に加盟
  • 1932(昭和7年)
    10月長野県スキー連盟創立
    平穏温泉スキー倶楽部も加盟

夜間瀬スキー倶楽部

  • 1931(昭和6年)
    代表者:宮津静雄 選手役員含め15名ほどで結成
  • 1932(昭和7年)
    夜間瀬スキー倶楽部主催で上信越スキー大会開催
    部員数60名を超える
  • 1936(昭和11年)
    代表者:湯本禮太郎

志賀高原スキー倶楽部

  • 1935(昭和10年)
    平穏温泉スキー倶楽部が志賀高原スキー倶楽部に改称
    会長:山口賢吉
  • 1942(昭和17年)
    会長:佐藤正勝
  • 1945(昭和20年)
    全日本スキー連盟戦後新発足
    12月志賀高原スキー研究会発足

志賀高原スキークラブ

  • 1946(昭和21年)
    1月志賀高原スキークラブ再発足
    2月長野県スキー連盟再発足
  • 1949(昭和24年)
    8月平穏温泉体育協会発足
    会長:小林茂
    志賀高原スキークラブは体育協会スキー部として吸収
    対外的名称は志賀高原スキークラブがそのまま用いられた
  • 1954(昭和29年)
    4月平穏村が平穏町となる
  • 1955(昭和30年)
    4月平穏町、穂波村、夜間瀬村が合併し山ノ内町となる
    8月平穏温泉体育協会は山ノ内町温泉体育協会に
    会長:湯本二郎
  • 1958(昭和33年)
    会長:畔上専介
    12月丸池スキーハウス内に全日本スキー連盟公認志賀高原スキー学校を開設
    校長:猪谷六合雄
  • 1962(昭和37年)
    山ノ内町温泉体育協会 会長:山本栄助
  • 1965(昭和40年)
    志賀高原スキー学校 校長:関金三郎
  • 1970(昭和45年)
    11月志賀高原スキークラブ再発足
    会長:佐藤正勝
  • 1971(昭和46年)
    志賀高原スキークラブ 会長:西山平四郎
    山ノ内町温泉体育協会 会長:湯本正平
    志賀高原スキー学校 校長:竹節元千代
  • 1973(昭和48年)
    志賀高原スキー学校 校長:小林澄夫
  • 1975(昭和50年)
    志賀高原スキークラブ 会長:児玉環
  • 1981(昭和56年)
    志賀高原スキー学校 校長:関富雄
  • 1983(昭和58年)
    志賀高原スキー学校 校長はスキークラブ会長が兼務となり児玉環が就任
  • 1999(平成11年)
    志賀高原スキークラブ 会長:児玉幹夫
  • 2014(平成26年)
    志賀高原スキークラブ 会長:竹節清

活動

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